思いだしてみてください。
ままごと遊びに夢中になった幼い日々のことを。
あのころ、いつも見慣れている遊び場の一角が、地面に引いた線や簡単な敷物で私達にとっては家になりました。脱いだ靴をそろえるだけで玄関になり、まな板代わりの板切れは、その場所を台所に変えたものです。子供のころはそんな柔らかな空間限定だけで、自分達の特別な場所をつくることができたのに、ひとは歳とともにその能力を失ってゆくのでしょうか。
いま思えば、あの場所は何物にも変えがたい美しい瞬間であり、美しい空間でありました。
大人になることとは、空間を含めて、すべてのものへの感情移入が、できなくなることなのかも知れません。
老子に曰く
「埴を固めて、以て器をつくる。その無にあたって、器の用あり。戸や窓を穿って、以て室をつくる。その無にあたって、室に用あり」と。
粘土ををこねて器を作ったとき、その粘土自体ではなくて、中央の何もないところに容器としての有用性があります。戸口や窓の穴を開けて、家を造ったとき、その何もない空間に家としての目的があるはずです。
現代の建築家の多くは、この2500年前の言葉を忘れてしまっているようにみえます。
デザインのためのデザイン。
ただ造形のための部品。
私達ブロス・アーキは、そのような姿勢を否定します。建築は、一部の好事家や、評論家のためにあるのではありません。
何よりも、その建築を使う人にとって快適であること。
いつまでも私達の人生を包含する、優しい器であり続けること。
幼いころのあの美しい空間を、紀元前の賢者の言葉を常に忘れずに、建築という、人間にとって原初的な営みを考えてゆきたいと思います。
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