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●人生のための文章 2     S.S.
当社に伝わる、ためになる言葉 その2

徳武先生にもらって、
転職組の私には、この文章は堪えましたね。
容赦のない棍棒で殴られたようになって、
数日は厳しかったです。
まあ、今は手帳に挟んでおけますが。




ブロス版「ガルシアへの書簡」


つぎの物語は、1899年に、わずか1時間で書き上げられた。
著者エルバート・ハバードはごく平易な文体で書いたのだが、そこには非常に重要な基本的教訓が含まれていたため、早くも1913年には原本が四千万部印刷されていた。日露戦争中、前線に向かうロシアの兵士は皆、「ガルシアへの書簡」を一部携えていた。日本軍は捕虜のロシア兵から没収したその本の数から直ちに翻訳すべきと考えたし、あとには勅命によって、武官文官を問わず、官吏全員に一部ずつ与えられた。

この物語はこれまでに、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、トルコ語、ヒンズー語、日本語、そして中国語に翻訳されている。おそらくこの他にも、多くの言葉の翻訳があることだろう。
その教訓は当然ながら、書かれた当時の時勢に合っていたが、今日もなお、さらに耳の痛い向きさえあるように思われる。

ガルシアへの書簡

 キューバがらみで言えば、私の記憶の地平線に、近日点の火星のように輝く一人の人物がいる。米西戦争が勃発したとき、反乱軍の指導者と直ちに連絡を取る必要が生じた。ガルシアはキューバのどこかの山塞にいる。どこであるかは誰も知らない。郵便や電報が届くはずもなかった。
大統領は彼の協力を得なければならない。しかも早急に。
ある人が大統領に行った。「ガルシアを見つけられる人がいるとしたら、それはローワンという男でしょう。」

ローワンが呼ばれ、ガルシアへの書簡が託された。「ローワンという名の男」がどのようにしてその手紙を受け取り、油布の袋に入れて密封し、心臓の上に括り付け、四日後に夜陰に乗じて小さなボートでキューバの海岸に上陸し、ジャングルに消え、敵国を徒歩で縦断し、ガルシアに書簡を届け、三週間後にこの島国のもう一端の海岸に現れたかを、ここで詳しく話すつもりはない。わたしが強調したいのは、マッキンレー大統領がローワンにガルシアへの書簡を託したとき、ローワンはその手紙を受け取って、「彼はどこにいるのですか?」と尋ねなかったことである。

この人こそ、その姿を不滅の青銅で造り、その像を全国の学校という学校に設置すべき人物だろう。若者に必要なのは、机上の学問でもあれこれの指示でもなく、背筋をまっすぐにのばしてやることである。そうすれば信頼に応え、迅速に行動し、精神を集中して、任務を遂行するだろう。ガルシアへ書簡を届けるだろう。

ガルシア将軍はすでにこの世を去ったが、ガルシアは他にもいる。多くの人手を必要とする事業を遂行しようとしたことのある人なら、きっと平均的な人間の無能さに愕然とした経験があるだろう。ひとつのことに集中して、それを遂行する能力、あるいは意欲がない。杜撰な手助け、愚かな不注意、投げやりな無関心、それに上の空の仕事がお定まりらしい。騙したり、すかしたり、脅したりして、他人の手助けを強要するか、金で買うかしない限り、あるいは恵み深い神が奇跡を行って、光の天使を手助けに送ってくださらない限り、誰も成功は望めない。

読者諸氏よ、試してご覧なさい。あなたは今オフィスにいて、六人の部下が近くにいる。その中の誰か一人を呼んで、頼む。「百科事典で調べて、コレッジョの生涯について簡単なメモを書いてくれないか。」
その部下は静かに「はい。」と答えて、仕事に取りかかるだろうか?決してそうはしないだろう。きっと怪訝な顔をして、つぎのような質問をいくつかするだろう。
「どんな人ですか?」
「どの事典でしょう?」
「百科事典はどこにありますか?」
「過去の人ですか?」
「何でお知りになりたいんですか?」
「お急ぎですか?」
「最悪、いつまでに仕上げればいいのでしょう?」
「誰か他の人にさせてもいいんじゃありませんか?」
「その本を持ってきますから、ご自分でお調べになったらいかがですか?」
あなたがその質問に答えて、その情報の探し方や、それを求める理由を説明したあと、その部下は十中八九、他の部下のところへ行って、コレッジョを見つける手伝いをさせるだろう。そしてしばらくガタガタやってからあなたの元へ戻ってきて、そんな人物はいないと言うだろう。
もしあなたが賢明なら、コレッジョの頭文字はKではなくてCであると説明などしないで、優しい笑顔を見せて「もういい。」と言い、自分で調べるだろう。

この自主的に行動する能力の欠如、精神的な愚鈍さ、意志の軟弱さ、進んで快く引き受けようとしない態度のために、理想的な社会はなかなか現れないのである。自分のためにさえ行動しようとしない人達が、全員の利益のためにどれほどの努力をするだろうか。

タイピストの求人広告を出せば、応募者十人のうち九人までが、ろくに綴りも知らないし、句読点も打てない。しかも、そういうことを知らなくてもいいと思っている。 こんな人にガルシアへの書簡を書かせるだろうか。

「あの出納係ですが」と、ある工場で監督が言った。 「彼がどうかしたかね?」 「会計係としては有能ですが、町に使いにやると、途中で何ヵ処か寄り道をして、駅前に辿り着いたときには、自分が何のために来たのか忘れていることが多いのです。」 こんな人にガルシアへの書簡を託せるだろうか。

私が心惹かれるのは、どんなときにも自分の務めを忘れず、その実現に向かって努力を続ける人である。

ガルシアへの親書を手渡されたら、黙ってその手紙を受け取り、愚かな質問をせず、どうしたらよいかを自分の頭で考え、それに向かって歩みはじめる人である。

自分の困難よりも、計画の遂行を優先させる人である。

そういう人は、決して一時解雇を受けないし、賃金のアップを求めてストをする必要もない。逆にどこからも乞われる立場となるだろう。

文明とはそのような人を捜し求める長い過程でもあるのだ。

そのような人はどこの都市でも、町でも、必要とされるに違いない。 どこのオフィスでも、店でも、工場でも。

世界中がそのような人を呼び求めている。

常に、あらゆるところで必要とされている、「ガルシアへの書簡」を届けることの出来る人物=ローワンとなることを、われわれも目指そうではないか。

1992Bros.,Inc. No.R-250201







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