インターネットの発達で、一般に情報を受信する技術や方法論は上手になりましたが、世の中でソフト不足が言われるように、情報発信の点では先人からあまり発達していません。

家づくりにおいても、行為自体を楽しむべきだと別項で述べましたが、いっそ関係者に情報を発信するくらいの気持ちで取り組んではどうでしょう。

自分は素人、相手は玄人、だから相手からの情報で自分は判断するのみというのでは、本当の意味で家づくりを楽しめないのではないでしょうか。せっかく板前さんとゆっくり話をするチャンスを持ちながら、目の前に回転するすしの皿が並ぶのを待つのは、残念なことです。

現代は偉大な素人の時代だと思います。
自由な発想、柔らかい思考、確固たる判断力が、正否を分けるという意味で、自宅の建築は格好の材料です。

間違いのない完璧な家を誰もが造りたがりますが、そんなモノはありません。一人一人の人生が完璧でないように、どの家も完璧でないのです。

まず、建築行為の終了、俗に言う竣工が家の完成だと思わないことです。
自由設計や注文住宅にあこがれながら、万人が認めるような教科書的な家を求めるのも、矛盾した話です。

この家は、自分の家族が住んで初めて家である、というくらい、自己完結的でない家もよいのではないでしょうか。
誰が住んでもよいような家は、所詮不動産物件としての家である、というくらいの矜持がほしいところです。





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すまいづくり雑感
□ 情報を得るためでなく、発信する形で家を建てる。