わたしたちはわたしたちを取り囲んでいるモノに、それらの用い方の常識に、とらわれすぎてはいないか。もちろん、モノにはモノの道理がある。が、とらわれすぎて不自由な生活をしていては味気がない。
人は、自分だけの悦ばしい生活を手に入れるために、もっと自由に、もっとわがままにふるまえる権利を持っている。今あるモノを欲しがるだけでは何も変わらない、何も手に入れることができない。
わたしたちは人生をもっと豊かにしたいなどと簡単に口走ってしまうが、豊かな人生は、残念ながらどこにも売っていない。それは、わたしたちの貪欲な想像力の内にある。
日々の生活のなかで想像力を膨らませ、コトを企ててゆこうとする貪欲な精神こそが、モノにわたしの道理を与え、役割を与え、わたしの生活を豊かに、わたしらしくしてゆくのだ。
「現代は〈足的時代〉にさしかかっている。それは人間の歴史が、道具を発見し、そしてそれを使いこなすことで産業を生み出してきた〈手的時代〉にとってかわるものである。”手は作るが、足は作らない”別の言葉でいえば手は、生産的だが、足は消費的である。」
寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』