『方丈記』を著した鴨長明は、三十歳を過ぎてから自ら求めて庵を結んだが、それはそれまで住んでいた家に比べると十分の一の小さな家であった。さらに齢六十になってふたたび自ら余生の庵を設計したが、広さはわずかに一丈四方、かつての家に比べれば百分の一にも満たない大きさで事足りるとした。
 たまたま鴨長明の場合は、「空間の縮小」というかたちで、ミニマムに凝縮された世界を築き上げたが、その凝縮の仕方、納め方は人によってもっとさまざまあるだろう。
 「美と善の合一、美とは有用性である」との教義に基づき、現代の物質文明を拒否し、財産を共有したシェーカー教徒。これに対し、氾濫する情報のまっただ中で、徹底して個人主義的なおさめをまっとうし、きわめて濃密な居場所をつくりだしている東京人達もいる。
 かたや徹底的に分けて、情報を共有し、個人に帰属するもの、不要なものを切り捨ててゆく、ミニマリズム的なおさめ方があり、かたや分けず切り捨てず雑然と、自らのあるがままを許し、わたしを拡張してゆくような方法がある。
 この対照的な二態は、現代の情報化社会、物質消費社会をサバイバルするうえでわたしたちが選びうる、両極端の選択肢かもしれない。




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ノウハウでない住いづくり
□ モノとコトのおさめ方。