アオアズマヤドリのオス達は、枝で造ったあずまやの周囲に、鮮やかな青色の物体を並べ、装飾の妙を競い合う。あずまやは巣ではなく、乱婚のための別荘である。メス達はそのセンスを吟味し、これはと思う巣を選んで交配に出向く。見栄えの悪い巣しか造れないオスは、メスの訪問にあずかれない。明快であるが故に、また厳しい世界である。
 アオアズマヤドリの見栄は、切実な見栄であり、遊び心の入る余地がどれほどあるかはわからないが、そこには確実に一羽一羽の気概がある。血と汗と涙の跡が感じられるものもあれば、こいつは器用なやつだと思わせるものもあり、また深遠な芸術性を漂わせた代物もある。ただ動物的本能に任せて収集し並べただけではない、確かに「見栄」としか呼びようのないものがそこにはある。
 人にとって見栄とは、余裕綽々を装う態度かもしれず、行き過ぎると時に傲慢に、鼻持ちならなく感じられるものだ。が、見栄を生きる気概の表れと考えれば、見栄はおおいにはりあうべきものではないだろうか。
 同じ見栄なら、文字通り「見て栄える」ための見栄をはりたいものだ。


「心意気は、相手へ『行く』ことを語っている。『息』は『意気ざし』の形で、『行』は『意気方』と『心意気』の形で、いずれも「生きる」ことの第二の意味を予料している。それは精神的に「生きる」ことである。」 
                     久鬼周造『「いき」の構造』




まえへ≪     ≫ 包まれる安堵感。

ノウハウでない住いづくり
□ 魅せる、見られる、見栄。