わたしたちは肉体に、衣服に、自然に、大気に、人の気配につつまれる。宇宙につつまれている一方で、テクノロジーにもつつまれる。五感と精神を通して、つつまれていると感じたとき、わたしたちは深い安堵を覚える。
家とは、これらの安堵の凝縮されたひとつの世界である。居心地の良い家というものは、そこに生活する者に中心感覚を持たせ、なにかしら心地よくつつまれている気分をもたらす。
木枯らしの吹き荒れる日には、温々と暖まった部屋の心地につつまれる。ナイトキャップのウィスキーやハーブオイルのかぐわしい心地につつまれる。もっと切実に、生きるためにつつまれなければならない場合もある。寒さの厳しい地では、家それ自体が備えた保温や暖房の機能につつまれる。
こうした切実さが、より心地よくつつまれるためのテクノロジーを発達させ、極地や宇宙でも快適に暮らせる人工環境が実現している。が、ただ囲い込むだけのつつまれでは息が詰まる。どこかで自然との、宇宙とのつながりを直感的に感じていればこそ、つつまれる安堵もあるのだ。
「住居は世界の模型であるから、象徴的に世界の中心となる。」
エリアーデ
まえへ≪ ≫ からだのようにつながる。