からだは、環境なしでは生きられない。からだは常に外に向かって開かれており、外の世界とつながり、必要なものを吸収し、不要なものを排泄する。
 家もまた、ひとつのからだである。食料や水、燃料やエネルギーを補給し、ごみや排泄物を放出する代謝系として外とつながる。いろいろな生活機能を制御し、情報を処理し、価値を再生産する神経系として、外界とつながる。これらのつながりは、胎児と母体を結ぶ臍の緒の果たしている役割に、似てもいる。まさにそれなくしては生かされないライフライン=生命線なのだ。
 しかし現代では代謝系はバランスを失い、ごみや産業廃棄物が溢れ、神経系も受発信のバランスが壊れ、地球の裏側からも情報は届くのに、隣人の名前も知らず、声をかける術も忘れられてしまった。家と環境、あるいは社会と環境の間で、わたしたちはつながり方を見失ってしまっている。
 循環=リサイクルが求められているのは、単に代謝系だけではない。神経系にも、もっと切実に求められている。つながるということは、受け入れると同時に何かを出すことだ。
 つまり循環してゆくことが、生きることなのだ。





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ノウハウでない住いづくり
□ からだのように、つながる。