わたしにはわたしのなわばりがある。ひとりひとり異なる意味を持つたくさんのなわばりが、わたしたちの生活のなかにある。その異なるなわばりの折り合いの場所に、私たちは棲んでいる。
 人間にとってのなわばりは、「よりどころ」─ある個人にとっての特別な場所と言うべきではないか。わたしたちには自分だけの安らぎの場所があったり、あるいは子供の頃の秘密めいた隠れ家の思い出に、いつまでもとらわれていたりする。それは、個人と環境との間の情緒的な関係の場であり、心理的に張られた目に見えない「結界」である。
 全ての場所は個人的に経験される。ひとりひとりの心情と経験の数だけ、プライベートな場所がある。そうした、個人的で奥深い意義を持つ場所=「トポフィリア」が、わたしたちのなわばりである。言ってみればそれは「人間という動物」のなわばりだ。
 家族のあいだでも、ひとりひとりのなわばりは同じではない。夫の「よりどころ」はもしかすると会社であって、家はただの寝場所かもしれない。たとえば夫と妻と子供では、リビングルームのイメージは、全く異なるはずである。
 住まいとは、動物のなわばり行動で言うところの、ただの巣ではない。ひとりひとりの人間という異なる「種」が、折り合いを付けながら生存をはかる、「すみわけ」の場なのである。





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ノウハウでない住いづくり
□ なわばりについて。