ギターを弾きながら、歌い、ハーモニカを吹く。そんなボブ・ディランの姿は決してかっこいいものではないし、効率のいい(?)ものでもない。それを可能にしているハーモニカホルダーだって、決して見た目に美しいものではない。ただ針金を折り曲げたような代物だ。
 だが、人は惹きつけられる。何かを完璧にこなすという志向とは異なる、ハーモニカを吹きたいという衝動がまずあって、そこからしか成立しない世界がそこにはある。
団欒はやろうと思ってできることではないし、「団欒に集中しよう」とすればするほど、本来の姿とは遠ざかってしまう天の邪鬼だ。
 だからこそ、まずはあれもしたい、これもしたいと想うこと、効率的な家事のためにと考え、使う人を、使い方を限定する方向に向かうのではなくて、何でも許してくれる空間として、心地よい曖昧さを持った「ながら空間」としてLDKを考えることからはじめたい。



「家族に開かれた厨房を、と言うぼくの主張は、主婦の家事負担の軽減を直接の目的としたものではない。‥厨房が家族に対して開かれる必要があるのは、そうでないと、調理という私的生活行為のひとつの基幹部分が、それ自体価値のあるものとして認識されにくいからである。‥調理が、目に見えないところで進行する『準備』ではなくて、私的生活そのものになることが重要なのだ。」
             渡辺武信『住まい方の思想』




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ノウハウでない住いづくり
□ ダイニングキッチンはハーモニカホルダーより
   優れているだろうか。