母の顔に肖(に)たボンボン時計が掛けてあり
それを見上げて 子供はみんな大人になった
丸山薫 詩集「鶴の葬式」より「家」冒頭部分
家の記憶というのは、つまるところ家族の記憶に他なりません。
上に掲げた詩にあるように、あるものが家族の生活の象徴になることは、わたくしたちの人生で、とても意味のあることだと思います。
家の壁掛け時計に似てくるなんて嫌だわと言う女性たちの声が聞こえてきそうですが、そのような意識が家と女性の関係を束縛だけでは無くしてきました。
平井堅の「大きな古時計」が大ヒットしたのも、歌手の表現力だけではないでしょうし、単なる懐古趣味でもないと思います。
昔の家に比べて、今の家は家族の記憶を内包するだけの力があるのでしょうか。
どこも明るく、美しくすることに集中するあまり、昔の家のように象徴となる空間やモノを失っているのでしょう。