ある同僚の話を思い出す。その人はマンションにひっこした。私はマンション暮らしにかなり関心があったため、住み心地を聞いて見た。中国地方の山深い土地出身のその人はたちどころに答えた。「さびしいですよ、だって軒うちというものがないから」。数学専攻で、純然たる理学部出身の人がずいぶん文学的な発想を持っていると、私は感心した。
寿岳章子「雨そして軒のはなし」より


気が付くと、軒の出が無いマンションを多く設計していることに気が付く。
上の文章を読んだときに、かなりドキリとした。

その人は、軒の深い家に育ったのでしょう。少しの雨ならしのげ、薪が積んであったり干し柿がつるしてあったりする空間は、家の外でも、中でもない、豊かな空間だったのでしょう。

日本の伝統的な建築を否定してゆく形で、戦後の住宅は進んできたといえます。その中に、軒先や軒下が含まれてしまったことは、とても残念なことです。

首都圏では、敷地の狭小さと斜線制限の厳しさで、思うような軒の出がとれないことが多いのですが、条件を恨んでみてもいい建物にはなりませんから、そのなかでいろいろと工夫を凝らすことになります。

しかし企画段階では、お施主さんは室内空間に頭が行きっぱなしで、軒うちの大切さをなかなか理解していただけません。
狭い敷地であればあるほど、室内でも外でもない空間を生かすことによって(私の事務所では中間領域と呼んでいます)住環境に厚みが付くことは覚えていてほしいと思います。

すまいづくり雑感
□ 軒の出について
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