家族は、住宅という空間を通して、初めて家族となります。いくら血がつながっていても、1つ屋根の下で暮らしたという経験と時間がなければ、それは形だけのものでしかありません。逆にたとえ血のつながりがなくても、ともに暮らしていれば家族としてのきずなを獲得することも可能です。住まいとは家族を家族たらしめるのに、かけがえのない道具であるといえるでしょう。
家族という人間関係はとらえどころのないものです。とても抽象的でありながら、それでいて重い。その人間関係は住まいという空間によって大きく影響されます。反対にその家族状況が住まいという空間を通して現れてくることもあります。(中略)
住まいも家族も人によってさまざまな見方ができます。それぞれが抱いている家族観、住宅観は個別の体験と現実に根ざしていて一様ではありません。だれもが納得できる家族像、住まいの有様を描き出していくことはとてもむずかしいものです。
NHK人間講座藤原智美「住まいから家族を見る」開講のことば より
正直、この方のベストセラー「『家をつくる』ということ」を読んだときは、その冒頭住宅展示場を訪れる話があるのにひどく失望したものでした。なぜ作家という内省的な仕事を持つ人間が、家づくりのはじめに展示場に行くのか、理解できなかったのです。
ところが、深夜にたまたまこのNHK人間講座を見てから気になり、さっそくテキストを買い込んで読んでみました。そこで著者は、いくつかの興味深い指摘をしています。何回か、このテキストをテクストに、現代の「家」について考えてみたいと思います。ちなみにこの講座は2002年の10〜11月期の開講ですので、まだテキストなどが手にはいるかもしれませんし、深夜枠などで再放送に接することもできるかもしれません。あまりボリュームがあるわけではありませんし、あのベストセラーよりずっとこなれていますから、これから家を建てる方は、一度お読みになって損のない本だと思います。
さて、上の文章ですが、ある意味でかなり情緒的な内容です。われわれ「家」を造ることを生業にしている者が、「希望する考え方」と言えると思います。
ある建築家が、「その気になれば、仲の良い夫婦を離婚させる家を設計することもできる」という意味の発言に接したことがありますが、それに類する考え方でしょう。設計などと言う、割りの悪いビジネスを営む者にとって、そう考えたいのはヤマヤマです。本音を言わせてもらえれば、施主にもそう考えてもらいたいと思いますが、どんなにわれわれが希望しても、せいぜい建築中が関の山でしょう。
成功者は自分の実力で人生を勝ち取ったと考え、そうでない者は人のせいにする。自分の人生が居住環境で規定されるなどとは、無意識裏に誰もあまり思いたくないのかもしれません。
しかし、家づくりの最中は、あえて強くそう思うのがよい結果を生むのではないでしょうか。家を造るというより、「家族するための道具をつくる」と考えるのです。それはどうしてもコストと設備と広さにばかり意識が行きがちな時期に、異なる思考をもたらすはずです。