ある講演会場で不思議な意見を耳にしました。それは六十代とおぼしき男性でしたが彼はこう言いました。
「父親の権威がなくなったのは家に書斎がないからではないか」
父親が書斎の中に入って読書したり書き物をしたりするところを母親や子供に見せることがないので、家族はただテレビを見たりビールを飲んでいるだらしない父親像しか知らない。それで権威がなくなるのだ。
NHK人間講座藤原智美「住まいから家族を見る」より
著者の言うとおり、「権威づけに書斎が力になるかどうか、そしてほんとうに「権威」なるものが必要なのかどうか」はすこぶる怪しいところです。
だいたい読書している姿を見せたからと言って、それで権威が付くなんてことはありますまい。それどころか、書斎に大枚はたいて導入したパソコンの操作方法が判らず、子供の教えを請うことになります。
「子供にとって権威ある父親であって欲しい」という妻が8割を超えているそうですが、そもそもそれが大きな間違い。「子供にとって」なんていう都合の良い枕詞が付いた権威なんてありませんから、配偶者から率先して権威を感じなければ、子供が権威を感じるわけがありません。
著者の指摘するように、昔の父親の権威は、たぶん「情報量」という側面が最も大きかったのです。家の中で働くにしろ外で勤めるにしろ、もっとも情報量の多い場所は生業を営む所でしたし、現代のように社会変化が急激ではないので、父の思考法で子も人生を進んでいけたのも良かったのでしょう。
情報機器を使いこなす息子や娘のほうが情報量多く、父親の考え方ではパラダイムの変化には対応できず、長年寄って立ってきた技術もすぐに陳腐化してしまうのでは、「情報量」を権威に結びつけようとする限り、いつまでも無い物ねだりになりかねません。
つまり権威を「情報量」から別のもの、たとえば「思考法」「人生観」などに転換しない限り、父親の権威復活はあり得ないのです。
「男の隠れ家」という雑誌が売れているそうですが、お父さんは隠れている場合ではありません。